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今夜の番組チェック

4歳〜11歳


クラシックヴァイオリンを習わされる。絶対音感はこの楽器の鍛錬によって身についた。

中学〜高校二年


語るべきことが何もない少年時代。唯一の救いはピアノを弾くこと。この頃に神経症を患い、路上で発狂。

1995 夏


高校の同級生を誘い、ヴァイオリンを取り入れたテクノユニット「LAST ENSEMLBE」を結成

【翌年に高校を卒業。高校にいるうちにティーンズフェスティヴァルに参加しようと言っていたSUGAYAの話は、当時の仲間たちに全く相手にされなかった。1年の浪人ののちに一般大学に入学。以降、音響効果制作の活動を在学中おこなう。】

1997 春


打ち込みによる自主制作映画の音楽制作を開始

1998 春〜夏


LAST ENSEMBLE名義の「ほらふき」「BAD TIMES」二曲を京都・東京で録音するも、メンバーのやる気がなく、未完成のまま終わる

1999 春〜秋


演劇のための音楽「石礫の詩」「7144874-44」を制作。この年だけで30曲近く制作した。

2000 春〜夏


映画音楽「たからじま」を、LAST ENSEMBLE名義で制作。しかしまたもやメンバーのやる気がなく、未完成のまま終わり、なし崩し的にLAST ENSEMBLEも空中分解

【この頃より、後のKIGASにつながる、サイバーヒッピーの芸術集団・大人数多国籍ユニット「KIGA」の構想が生まれる。】

2000 秋〜冬


後の代表作となる「JESUS」の作曲に着手。また映画音楽「侠たちよ」を制作。

2001 春


映画「侠たちよ」がTSUTAYA INDIES MOVIE FESTIVALに入選 期間限定で全国でレンタル開始。

【今ふりかえると、大学時代は音楽の修行時代であった。音楽活動をするというと誰もがバンドを組もうとするのに対し、SUGAYAの行動は多くのそうしたアマチュアバンドをやる彼らにとって、とても珍奇なものにみられた。

映画の全国公開によって、ようやくSUGAYAの活動は少しは報われたが、一銭の得にもならず、さらに周囲の理解も全く得られないものであった。】

2001 夏 〜 2002 夏


人生で最も辛く、厳しい月日が流れる。世は超就職氷河期の真っ只中。 不況のあおりは日本の音楽業界をも直撃、そこらじゅうで閑古鳥が鳴いていた。SUGAYAは日雇い労働をしながら、必死でデモテープを創りなんとか生きしのいでいた。

2002 11.13


とある芸能プロダクションより作曲家・大坪直樹のアシスタントのスカウトを受ける

2002 11,23


同時期、偶然知り合った地元の音楽仲間と、LAST ENSEMBLEのギタリストAとともにKIGAとして渋谷屋根裏にて初ライヴを行う 

2002 冬


KIGAの1st自主制作アルバム「REAL DRAMA」の録音を開始

2003 4月


渋谷屋根裏にて、KIGAの二回目のライヴ。観客2人。最悪のギグ。

2003 5月


KIGAのメインヴォーカリストが突然脱退。月日の浅い付き合いだったのが原因。

2003 7.5


渋谷屋根裏、KIGAの三回目のライヴ。メンバー総ボイコット。ヤケクソのあまり、女装して30分絶叫朗読を行、最後にギターを破壊。

【このヤケクソのギグが、後のKIGASにつながるアイディアに偶然にもつながってゆく。】

2003 夏


KIGA「GO WITH FLOW!」がYAMAHA MUSICFRONTにて楽曲入選。チャート第三位までねじこむ。しかしこれが最初で最後のKIGAの栄光となる。

2003 9月


SUGAYA、メンバーのやる気もなく、集中力もなくした状態で、これ以上レコーディングは続けられないと判断し、KIGAを無期限の活動休止にする。いつか必ず復活させることを誓い、KIGAとSUGAYAの名前を足してソロプロジェクト「KIGAS」を開始。

【高校時代よりSUGAYAが描いていた、ポップスのミュージシャンとして成功するというアイディアは、良き理解者も作品への共感も全く得られないまま、楽曲入選という実績だけが宙に浮いて、事実上消滅した。

以降、三年半近くの間、日本のアンダーグラウンドシーンにおいて、地中でもがき苦しむ日々が始まる。毎日のようにヴァイオリンを練習しながら、音楽自体についてもこれから自分がどう向き合ってゆくべきかを自問自答する日々が続いた。】

2003 11月 渋谷屋根裏


2003 1月 渋谷屋根裏


2004 3月 ライヴインロサ


2004 7月 西荻窪ワッツ


KIGASとしてのライヴ。この間に「人生と言う名のSL」の作曲に着手。

2004 12.13


KIGA.S初企画、「新潟県中越地震被災者救済ギグ」を西荻窪ワッツにて開催。乱闘騒動という最悪の形で幕を閉じる。

2005 4月


西荻窪ワッツ、KIGA.S復活ライヴ。レーヴェルのオーガナイザーSSKL JPさんの配慮に涙する。

2005 6月〜11月


名古屋・東京・沖縄にてKIGA.Sのライヴツアー。これ以降ライヴを休止し、レコーディングに専念する。

2006 春〜夏


黒田ミチル名義で、CLOTH DRESSINGやヌードパフォーマンスの写真撮影会が何度か開かれる。

2006 秋


江古田フライングティーポッド、KIGAS復活ライヴ。さらに3年の歳月をかけて録音した「人生と言う名のSL/おかえりなさい。」両A面マキシシングルを会場内で販売。全て売り切れる。また初ヴォーカル作品「DREAM DIVER」録音開始。

2007 3月


音楽コンテスト・みゅーじっくもんにて「DREAM DIVER」楽曲入選。

2007 10.11


同人音楽即売会M3に4年の歳月を費やして完成させたアルバム「REAL DRAMA FOOTAGE.1」をNANKADOさんスペースで委託販売

2007 11.23


高円寺無力無全寺、COSMO BABY NIGHTに出演。海外で音楽活動を繰り広げる水晶の船・ASTRO・KIYASU ORCHESTRAらと競演。

2008 1.6


「太陽の河」みゅーじっくもんに楽曲入選。

2008 4.28


新宿URGA、FLAGS OF NOTHINGNESSに出演。ヲタ芸師パターサンをDANCERに迎える。2004年の乱闘騒動以来、ようやくライヴに手ごたえを感じる。


現在、TRANSモデル・黒田ミチルの為の曲「法螺吹き」、およびKIGAS 流洋楽TUNE「HELLO HAARP」を順調に遅れながら製作中。
同時にオランダ・フランス・ドイツ在住のINDIES MUSICIAN達との交流・共作や各国への原盤輸出など、積極的に海外進出へのアプローチは続いている。

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